人生はつねに過渡期だな、と近ごろつくづく思う。
平均寿命の半分程度も生きてくると、経験やそこから得る結果や自分なりの知恵みたいなものまで何となく出来上がって、ちょっとくらいは人間てものを理解った気になったりして・・・。
18年ほど前に、一度すべての思考の棚卸をしたことがあって、その時以来、人生について何か「これってこうなんじゃないか」と思うことがあっても「少なくとも今は」とつけることが多くなった。
あれから大々的な棚卸をすることはなく来たけれど、どうやら人生二度目の棚卸期に突入したらしい。
18年周期というのを言っている人もいるけど、あくまでそれは目安の数字だと思ってて良い気がする。
私の場合、たまたま18年空いたけどね。
長い歳月と日常や経験の中で、昔なら「こうに違いない!」くらいに思っていたことさえ、真逆に転じることがある。
その体験をして、考えることに意義はあっても、絶対的な結論を出することには意味がないなと思った。
いま生きている私たちはみな等しく、少なくとも死んだ経験がない。
あと何年、何十年生きるかも知らないけれど、きっとまた18年経った先の私は今の私とも違うことを見つけてるだろうし、私よりも年配の人でも若者でも同じことなんだろうと思う。
ただ、何をやってどんな生き方をしてきた人であっても、自分より長く生きてる人は自分は知らないことを知ってるもの。
だから世間的にはけっこう大人になった今の自分でも、まだまだ知り得ない”人生の何か”がやっぱりたくさんあるんだなと改めて感じている。
というわけで、ここのところ毎日せっせと思考の棚卸作業に取り組んでいる私。
この何年かで家の中にまた溜まってきた、実はもうとっくに御務め終わってるモノたちにも感謝してお別れしよう。
そんな今も、長い人生の中では一つの過渡期。
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